ジャン・バルネ博士
・・・医師による医療現場へのエッセンシャルオイル(精油)の導入

エッセンシャルオイル(精油・アロマオイル)

フランスの軍医であったジャン・バルネ博士(Dr. Jean Valnet 1920〜1995)は医師という立場でエッセンシャルオイル(精油)を医療現場に始めて本格的に導入した人物です。


ルネ・モーリスガットフォセと並んで近代アロマテラピーの発展に最も大きな貢献をしたのがこのジャン・バルネ博士です。彼の業績によって本来的な意味での「アロマテラピー」が始まったと言うこともできるため、「アロマテラピーの創始者」と見なすこともできます。


ジャン・バルネは1920年にフランス北部の都市、シャロン=シュル=マルヌ(現在のシャロン=アン=シャンパーニュ)に生まれました。 第二次大戦中の1942年には南部のリヨンでレジスタンスとして対ドイツ戦に参加します。この時はまだ医学部を卒業しておらず、負傷兵を手当てする医師のアシスタントとして活動しました。


医学部卒業後は軍医となって第一次インドシナ戦争に赴きます。バルネは外科が本来の専門でしたが、微生物学、衛生学、法医学や精神医学など幅広い領域に精通していた優秀な医師でした。1950年〜1953年にトンキン(現在のベトナム・ハノイ市)に駐留して負傷兵の治療に当たります。


この時、本国フランスから持ち込んだラベンダーやオーストラリアから送られたティートゥリー等のエッセンシャルオイル(精油)を負傷兵に対して使用します。これが、エッセンシャルオイル(精油)の医師による医療現場への初めての本格的な導入でした(実験的な使用はルネ・モーリス・ガットフォセが医師と共に行っています)。


まだ抗生物質が現在ほどには十分発達していなかった当時(※注1)、ジャン・バルネの治療は目覚ましい成果をあげます。この際に得た貴重な臨床経験とデータは後のバルネの研究の基礎となります。


軍医としての評価も高く、1953年からは陸軍長官の外科担当主治医という重責を担いました。また、第二次大戦中のレジスタンスの活動も評価されて、フランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章を授与されています。


1959年に軍を去ったバルネはパリのクレベール・アベニューで外科医院を開業します。ここで民間の医師として活動する傍ら、エッセンシャルオイル(精油)並びにエッセンシャルオイルから作った薬剤の臨床応用と研究を更に進め、自身の理論を洗練させていきます。そして、1964年に『aromatherapie』(邦題「ジャン・バルネ博士の植物‐芳香療法」英題「Aromatherapy, treatment of the illnesses by the essences of plants」」)を著します。


これはエッセンシャルオイル(精油)とアロマテラピーを始めて医学的に扱った画期的なものでした。それ以前は呪術や占星術など非科学的な領域と結びついてイメージされることが多かったアロマテラピーに始めて第一線の医師による科学の光が当たり、大きな進歩がもたらされます。


この書籍の出版以降も一般の人々の間では依然としてアロマテラピーは非科学的な扱われ方がされがちでしたが、バルネは精力的な執筆、講演活動を通じて「科学的」にエッセンシャルオイル(精油)を扱い、実際の医療現場で役立てる方法を人々に広めていきます。ジャン・バルネのアロマテラピーにおける業績は科学的、医学的な進歩のみならず、人々への啓蒙という点でも大変大きなものとなりました。


その後 1967年に『Health by fruits, vegetables and cereals』(果実、野菜並びに穀類による健康維持)、1972年に『Herbal medicine, treatment of the illnesses by the plants』 (薬草 - 植物による疾患治療)を著した他、数多くの論文を発表しています。


その後もエッセンシャルオイル(精油)の抗菌性に関する研究はやむことはなく、1973年にはエッセンシャルオイル(精油)の抗菌力を測定する新たな手法を開発し「アロマトグラム」と名付けて発表します。


1995年にジャン・バルネは75歳でこの世を去ります。日本でアロマテラピーとエッセンシャルオイル(精油)の使用が本格的に普及し始めたのは正にこのころのことでした。


この間時代が移り変わり、様々な抗生物質が開発されて医療は大きく変わることになります。抗生物質のお蔭で多くの病気が予防、治療できるようになり、人間の寿命は飛躍的に伸びていきました。抗生物質の登場は人類にとって正に福音でした。


一方で、抗生物質の多用は耐性菌の発生や人間本来の免疫力の低下などの新たな問題を引き起こしています。今では先進各国政府は不要な抗生物質処方削減を目指した活動を行っていますが(※注2)、 ジャン・バルネは非常に早い段階からこうした抗生物質の負の側面に警鐘を鳴らしており「差し迫った状況でなければ、使用は極力控えるべき」と訴えていました。ここにもバルネ博士の先見の明が見て取れます。


ルネ・モーリス・ガットフォセ、ジャン・バルネ博士の2人のフランス人は抗菌などのエッセンシャルオイルの薬理作用の研究とその応用といった面からアロマテラピーに大きな進歩をもたらしました。こうした伝統から、フランスでのアロマテラピーはエッセンシャルオイルの薬理作用を重視するメディカル・アロマテラピーとして発展していきます。フランスの影響を受けた近隣のドイツ、ベルギーでも医師、薬剤師によるメディカル・アロマテラピーが普及、発展します。こうした国々では時にエッセンシャルオイル(精油)の内服や粘膜投与が医師の指導の元で行われます。これとは対照的にイギリスで発展したのがホリスティック・アロマテラピーです。日本のアロマテラピーはその導入、発展の経緯からどちらかと言うとイギリスの影響をより強く受けていると言えます。



(※注1)世界最初の抗生物質ペニシリンが発見されたのは1929年です。第二次大戦中に大量生産が可能になったためペニシリンが使用され始めましたが、それ以前のフランス人の平均寿命はまだ50歳代でした。不治の病であった結核の治療にストレプトマイシンが本格的に使用され始めたのは1950年代に入ってからです。


(※注2) フランス政府は2002年に「Antibiotics are not automatic」キャンペーンを開始し、抗生物質の処方を削減を目指す活動を展開しています。



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